2021年3月2日火曜日

コロナで実感。勉強とお金は人生の選択肢を増やす方法の一つ


こんにちは。ひとりです。

「勉強しろ」と知人がその子どもによく注意するそうです。子どもは小学生です。私は大人になった今、あのころもっと勉強しておけば良かったと思うことがあります。一方で、子どものころに目的もなく勉強に向き合うことができたかといえばそうでもなく、勉強に真剣になれなかったのはやはり、その先にある目的が見えなかったことが大きかったように思います。

勉強の先にある目的とはなにか、それは例えば分からないことを知りたいと思うことであったり、できないことができるようになることであったり、もっと具体的にはなりたい職業であったり。小学生であれば勉強の先にある目的は曖昧であっても構わないと思います。ただ勉強が目的にならないよう、親がそこは経験から教えてあげるのが良いと思います。親でもない私が口先で語ることなので信憑するに足りませんが。先の知人に話を戻すと、勉強を目的として子どもに強要している様子が目に浮かびます。他人の教育のことなので口にはもちろん出しません。

勉強は何かに挑戦したい時の選択肢の一つになります。挑戦したいこと、なりたい職業が見つかった時に、それに向かえるだけの知識や学歴がなければ挑戦すらできないことがあります。つまり勉強は人生の選択肢を増やす方法の一つです。そんなふうに勉強の目的を教えてくれる大人が子どものころに身近にいれば良かったと思います。

大人になった今、人生の選択肢を増やす方法がもう一つ見つかりました。それはお金です。日経新聞に先日、「もっと働きたい」という記事がありました。その内容は、コロナ禍にあって労働時間が減っている、つまり給料が減っているのでもっと働く時間を作ってお金を稼ぎたいというものです。「もっと働きたい」と婉曲な言い回しをしていますが結論は、「もっとお金が欲しい」という内容でした。

お金があれば(平時に貯金、投資していれば)、こんな時に「働く(働き方の変更を含めて)」「休む」の選択肢が得られます。お金がなければ「働く」の1択だけです。お金は勉強と一緒で、人生の選択肢を増やす方法の一つです。ただ、欲しい、必要だからといっていずれも一朝一夕で身に付く、手に入るものではなく、相応の努力や準備が必要です。いつ結果に結びつくかわかりませんが、私も目標に向かって取り組み中です。