2020年1月22日水曜日

園児の点呼省略が一大事に。保育施設の杜撰な一面を垣間見る


こんにちは。ひとりです。

ベランダに洗濯物を干していると、近隣の公園に保育園児が遊びに来ているのが見えました。

若手からベテランの保育士が3人で、2才児ほどのまだ会話ができない園児が10人程度。保育士1人当たり園児3人ほどの割当なので、決して手に負えない、目が届かないようには見えません。

洗濯物を干しながら、園児たちが遊具で遊ぶのをしばらく眺めていると、別の場所へ移動することを告げる保育士の掛け声があがりました。遊びに夢中な園児を一人ひとり遊具から抱きかかえて列を作らせ、その場所から離れていきました。


1人遊具に取り残された園児に保育士は


しばらくして遊具を見ると、1人取り残された園児がいます。保育士3人は、取り残された園児に気が付かずに、どんどんとその場所から離れていきます。

園児が1人いないことに保育士がすぐに気付いて引き返してくるだろうと思っていても、一向にその気配がありません。園児は自分が取り残されたとは知らず、そのため不安もない様子です。

数分にも満たない時間でしたが、施設の管理者が幸いにも園児に声を掛けて、離れた保育士の場所まで引き連れていきました。

先の調子だと、保育園まで戻ってやっと1人いないことに気が付く自体も想定できます。

場所を移動する際は、園児の人数確認が必須だと思いますが、保育士3人ともが遊びに夢中で、例えば年長の保育士が全体を見渡す役目に就くなどの取り組みが必要です。

保育士の連携や役割分けが欠けていては、いくら人を増やそうが意味がありません。人手不足の前に、保育士の連携不足が目に付きます。


所詮は仕事、所詮は人の子か


点呼省略が一大事にもつながる今回の出来事。1人置き去りにしたことに対する保育士3人の反応は、ついうっかりと軽い印象に見えました。

これまでもおそらく点呼の習慣がなかったのでしょうし、置き去りに気が付いた後の軽い反応を見ても、今後も点呼の習慣が生まれることはなさそうです。

自分の子どもなら到底ないような対応も、所詮は仕事、所詮は人の子という感じなのでしょうか。極端な見方、少々神経質かも知れませんが、このご時世だからこそ私はそのように感じました。